ここまで来るのに長いことかかりました。漂流していて、漸く岸が見えたような感覚です。ただ、「寝たい」という言葉が、アーユルヴェーダの世界では三千年以上前の古典にまで及び、とんでもない振り幅です。この論考には既に次の課題も見えていますが、それは、もう少し後で。
アーユルヴェーダ
→ 古典医学
→ 身体活動(Vyayāma)
→ 身体の安定性(Sthairya)
→ 負荷・疲労(Duhkha-sahiṣṇutā など)
→ 休息
→ 睡眠(Nidrā)
→ 生命を支える考え
→ 男の身体を知る
この論考は、基本的には、人間の身体をどう維持するかという普遍的な話です。
疲れたら、休む。
眠る。
身体を横たえる。
それは、ごく自然なことです。
けれど、アーユルヴェーダでは、身体を「疲れを取る」という一面だけから考えません。
身体には、身体を支える力がある。
古典では、身体の強さを Bala(बल)、身体の安定性を Sthairya(स्थैर्य) といった概念から捉えています。
また、適度に身体を動かすことによって、身体の安定性や強さ、活動する力、負荷に耐える力などが養われると説いています。
一方で、過度な運動は疲労や消耗につながる。
つまり、
ただ鍛えることでもない。
ただ休むことでもない。
動くこと。
支えること。
そして、休むこと。
その両方から、身体を考える。
RUDRAでは、そこから男性の身体を考えます。
年齢とともに変化する男性の身体。
筋力、姿勢、身体の使い方。
下半身の安定性。
呼吸。
そして、日々の疲れ方。
自分の身体なのに、
「なぜ、ここがこんなに硬いのか。」
「なぜ、以前より動きにくいのか。」
「なぜ、疲れが抜けにくいのか。」
意外と知らないことがあります。
RUDRAでは、男性の身体を一つひとつ知ることから始めます。
古典アーユルヴェーダでは、身体を動かすことを Vyayāma(व्यायाम) と呼びます。
『チャラカ・サンヒター』では、Vyayāmaについて次のように説かれています。
संस्कृत
शरीरचेष्टा या चेष्टा स्थैर्यार्था बलवर्धिनी ।
देहव्यायामसङ्ख्याता मात्रया तां समाचरेत् ॥
IAST
śarīra-ceṣṭā yā ceṣṭā sthairya-arthā balavardhinī |
deha-vyāyāma-saṅkhyātā mātrayā tāṃ samācaret ||
意味
身体の安定性 Sthairya をもたらし、身体の強さ Bala を増すための身体活動を Vyayāma とし、適量をもって行うべきであると説いています。
ここで重要なのは、単純に「運動すればよい」ということではありません。
古典が示しているのは、
身体を支える力を養うこと。
身体の安定性を保つこと。
そして、その人にとって適切な量で行うこと。
という身体観です。
同じく『チャラカ・サンヒター』では、Vyayāmaによって得られるものとして、次のような言葉が挙げられています。
संस्कृत
लाघवं कर्मसामर्थ्यं स्थैर्यं दुःखसहिष्णुता ।
दोषक्षयोऽग्निवृद्धिश्च व्यायामादुपजायते ॥
IAST
lāghavaṃ karma-sāmarthyaṃ sthairyaṃ duḥkha-sahiṣṇutā |
doṣa-kṣayo ’gni-vṛddhiś ca vyāyāmād upajāyate ||
ここで示される身体の変化
Lāghava(लाघव)
身体の軽さ
Karma-sāmarthya(कर्मसामर्थ्य)
活動する力、行動を遂行する能力
Sthairya(स्थैर्य)
安定性
Duḥkha-sahiṣṇutā(दुःखसहिष्णुता)
負荷や苦痛などに耐える力
つまり、古典における身体活動は、単に筋肉を大きくするためのものではありません。
軽やかに動けること。
身体を安定させること。
活動する力を保つこと。
身体への負荷に耐える力を養うこと。
そうした身体の能力全体から考えられています。
ここも、アーユルヴェーダの重要な考え方です。
Vyayāmaは、適量で行うことが前提とされています。
『チャラカ・サンヒター』では、過度な身体活動によって疲労や消耗が生じることも説かれています。
また、運動量は一律ではなく、その人自身の身体能力に応じて決めるという考え方が示されています。
つまり、
動けば動くほど良い。
ということではありません。
身体を使うことと、身体を消耗させることは、同じではない。
だからこそ、
動くことと休むこと。
その両方から身体を見る必要があります。
アーユルヴェーダでは、睡眠 Nidra(निद्रा) も重要な意味を持ちます。
『チャラカ・サンヒター』では、食事 Āhāra(आहार)、睡眠 Nidra(निद्रा)、そして、 節度ある生活 Brahmacarya(ब्रह्मचर्य) を、生命を支える三つの柱 Trayopastambha(त्रयोपस्तम्भ) としています。
つまり、睡眠は単なる「休憩」ではありません。
身体を維持するための重要な要素として考えられているのです。
さらに、睡眠について次のように記されています。
संस्कृत
यदा तु मनसि क्लान्ते कर्मात्मानः क्लमान्विताः ।
विषयेभ्यो निवर्तन्ते तदा स्वपिति मानवः ॥
IAST
yadā tu manasi klānte karmātmānaḥ klamānvitāḥ |
viṣayebhyo nivartante tadā svapiti mānavaḥ ||
意味
心が疲れ、感覚や活動に関わる機能が疲弊し、外界から退くとき、人は眠る。
睡眠を、単なる「身体を休ませる時間」としてだけではなく、心と感覚を含めた身体全体の疲労から離れる自然な過程として捉えている点が興味深いところです。
だから、
寝たい。
身体を預けたい。
力を抜きたい。
何も考えたくない。
という感覚は、決して特別なものではありません。
疲れた身体が休息を求める。
それもまた、身体が持つ自然な働きの一つです。
RUDRAが考えるのは、
「疲れたら、とにかく鍛えればいい」
ということでも、
「疲れたら、ただ癒されればいい」
ということでもありません。
身体を動かす。
身体を支える。
身体を休ませる。
そのすべてを含めて、自分の身体を知る。
ここから先は、古典そのものの記述ではありません。
RUDRAでは、こうしたアーユルヴェーダの身体観を背景に、現代を生きる男性の身体について考えます。
男性の身体は、年齢とともに変化します。
筋力。
姿勢。
下半身の使い方。
身体を支える力。
呼吸。
そして、休む力。
だからこそ、身体を一つの部分だけで考えるのではなく、全身がどのようにつながっているのかを見ることが大切だと考えています。
RUDRAでは、アーユルヴェーダのオイルトリートメントを中心に、必要に応じて簡単な身体の動きや呼吸法を取り入れています。
ポーズを覚えるためのヨガレッスンではありません。
身体を追い込むためのトレーニングでもありません。
自分の身体が、今どうなっているのか。
それを知るためのものです。
身体をゆるめる。
伸ばす。
動かす。
支える。
そして、必要なところを使う。
その中で、身体の動きや呼吸法として、ヨガの考え方を取り入れることがあります。
ヨガをするためのサロンではありません。
古代インドのアーユルヴェーダには、身体の強さ、安定性、活動、休息、睡眠について、長い時間をかけて考えられてきた知恵があります。
RUDRAでは、それをそのまま現代の男性に当てはめるのではなく、今を生きる男性の身体を考えるための視点の一つとして読み直します。
身体をゆるめる。
動かす。
支える。
休ませる。
そして、また動く。
その繰り返しの中で、
今まで知らなかった自分の身体が見えてくるかもしれません。
それが、RUDRAの考える「男の身体を知る」ということです。
本ページでは、主として以下の古典記述を参照しています。
Caraka Saṃhitā, Sūtra Sthāna 7 — Naveganadhāraṇīya Adhyāya
Vyayāma(運動・身体活動)、Bala(強さ)、Sthairya(安定性)、活動能力、負荷への耐性、適量の身体活動について。
Caraka Saṃhitā, Sūtra Sthāna 11/35 — Tisraishaniya Adhyāya
Āhāra(食事)、Nidra(睡眠)、Brahmacarya(節度ある生活・行動)を生命を支える三つの柱、Trayopastambhaとして扱う記述。
Caraka Saṃhitā, Sūtra Sthāna 21/35 — Aṣṭauninditīya Adhyāya
心身の疲労と、感覚・活動が外界から退くことによって生じる睡眠について。
本ページでは、古典に記された概念と、RUDRAが現代の男性の身体について行う解釈を区別して記載しています。
出典:Caraka Saṃhitā Online / Charak Samhita Research, Training and Development Centre, I.T.R.A., Jamnagar, India.